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العنوان
アインシャムス大学外国語学部日本語学科 \
المؤلف
アフマド, アヤ・ワーエル.
هيئة الاعداد
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مشرف / ????????
مناقش / ????????
مناقش / ?????????
تاريخ النشر
2014.
عدد الصفحات
125p. :
اللغة
اليابانية
الدرجة
ماجستير
التخصص
اللسانيات واللغة
تاريخ الإجازة
1/1/2014
مكان الإجازة
جامعة عين شمس - كلية الألسن - Department of Japanese Language
الفهرس
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Abstract

結 論
本論では三章を通じて、ことわざにおける意味の変化、とくに比喩
的意味について考察した。
まず第一章では、ことわざと意味論からの視点、そして認知意味論
からの視点の意味の変化の原因を整理した。
1.1 では日本語のことわざと類似定型句の慣用句、格言、金言など
を定義し、それに相当するアラビア語を考察した。ことわざはᵓlmaṯal
に、格言類はᵓlḥikma、慣用句はᵓlqawlussāᵓir に相当することを明らか
にした。
1.2 では意味論と認知意味論の視点からみる意味の変化の原因を整
理した。大きく分けて、レトリック技法による意味の変化と、認知過
程による意味の変化である。
典型的意味論の視点では、意味の変化の重要な原因として、隠喩、
換喩、提喩などのレトリック技法が挙げられている。隠喩は趣意と媒
介の間の類似性に、換喩は趣意と媒介の隣接性に、提喩は種と類の関
係に基づく技法である。日本語の意味の変化の基盤になるレトリック
技法を第二章で詳しく取り上げ、アラビア語の技法に比較対照した。
また、認知意味論の視点からは、概念メタファー(隠喩)、ミトニ
ミー(換喩)シネクドキが挙げられている。我々の発言は常に我々が
回りの世界をどのように認知しているかに深く関わる。また、我々は
カテゴリー化によって認知領域を作り、物事をその認知領域の中で把
握する。また、我々は物事を抽象化して、抽象化された認識パターン
の「イメージスキーマ」によって周りの政界を見ている。したがって
AはBとしてみる場合、AとBの理解の基盤となる認知領域やイメー
ジスキーマが統一させ理解しているのである。
つぎに第二章では、意味の変化の基盤として、比喩を取り上げた。
比喩にはさまざまな下位分類があるが、本論では、直喩、隠喩、換喩、
提喩、そして類似性に基づいて二つの事情や状態のを対象とする諷喩
(意味作用のレトリック技法)を取り上げた。さらに、これらの技法
に相当すると考えられるアラビア語の技法ᵓattašbῑh 、ᵓalᵓistiϲārah 、
ᵓalmaǧāz ᵓalmursal、ᵓalkināyah を取り上げた。
日本語とアラビア語の意味作用のレトリックが、どのようなレトリ
ック技法として分類されているかを整理した。さらに両者の対照を通
じて、日本語とアラビア語の意味作用のレトリックには、以下のよう
な共通点と相違点があることが明らかとなった。
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直喩に相当する技法はᵓattašbῑh である。しかしアラビア語のᵓattašbῑh
の種類には喩えの指標と類似の相が省略されるᵓattašbῑh ᵓalbalῑġ があり、
それは直喩ではなく、現前の隠喩に相当する。日本語において、喩え
る項と喩えられる項の両方が言及されている表現を「現前の隠喩」と
呼び、隠喩の範囲に入るが、アラビア語の同じ構成は前述のように
ᵓattašbῑh ᵓalbalῑġ と呼ばれる。喩える項と喩えられる項の一方だけ言及
されているものは「不在の隠喩」と呼ばれる。不在の隠喩に相当する
アラビア語の技法はᵓalᵓistiϲārah である。しかしアラビア語の
ᵓalᵓistiϲārah には語ではなく、語より大きな範囲、例えば状態と状態の
類似性を扱う技法はᵓalᵓistiϲārah ᵓaltamṯῑlyyah と呼ばれる。その
ᵓalᵓistiϲārah ᵓaltamṯῑlyyah は諷喩に相当すると考えられる。
なお、二つの対象の関係が類似性ではなく隣接性とされる換喩に相
当するアラビア語の技法は、同様に隣接性を基とするᵓalmaǧāz
ᵓalmursal だと考えられる。しかしᵓalmaǧāz ᵓalmursal の関係における特
殊性と一般性という関係は場合によって換喩ではなく、提喩に相当す
る。そして、換喩の一種とされる転喩はᵓalmaǧāz ᵓalmursal ではなく、
ᵓalkināyah に相当すると考えられる。
つづいて第三章では、第一節では日本語のことわざの分析をおこな
った。第二節では、アラビア語のことわざの代表としてエジプトのこ
とわざの分析をした。第三節では、日本語のことわざとエジプトのこ
とわざの共通点と相違点を整理した。
第一節では動物の語彙を含む日本語のことわざにおける意味の変化
を考察した。まずことわざを、比喩を含まないことわざ、部分比喩の
ことわざ、全体が比喩のことわざに分けた。比喩を含まないことわざ
においては意味の変化が見られない。部分比喩のことわざは字義通り
为題(喩えられる項)と比喩を含む变述(喩えとなる項)からなるこ
とわざ種である。全体が比喩のことわざはある事柄を取り上げ、別の
事柄を伝える諷喩的なことわざである。
部分比喩のことわざを直喩型のことわざ、隠喩型のことわざ、換喩
型のことわざに分け、それぞれのパターンにおける意味の変化を明ら
かにした。
全体が比喩のことわざは全て情景提喩とされる。つまり、何らかの
普遍相(裏の意味)を伝えるための具体例(表の意味、ここはことわ
ざ自体)である。この種のことわざにおける意味の変化を明らかにす
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るために、表の意味と裏の意味を対照させるほか、その背景にあるイ
メージスキーマを考えた。その結果、「上・下」「サイズ」「色」
「形」のイメージスキーマによって把握された上での意味の変化が明
らかになった。
イメージスキーマのほかに、動物の天性や性質に基づく類似性を通
じて意味をなすことわざもあった。そのことわざにおける意味の変化
は为として動物の語が生物ではなく、性質などを表すことにある。
最後に文化的な原因に基づいて成り立つことわざを取り上げ、情景
的な比喩的意味を持つことわざと、文化的背景による比喩的意味を持
つことわざという二種類に分けた。情景的ことわざとは一つのストー
リーを想像させるものであり、そのストーリーは他の文化にも理解さ
れる可能がある。それに対して文化的背景によることわざは特定の文
化圏内でのみ意味をなし、他の文化では理解が困難である。
第二節では動物の語彙を含むアラビア語のことわざ、とりわけエジ
プトのことわざにおける意味の変化を考察した。まずことわざを、比
喩を含まないことわざ、部分比喩のことわざ、全体が比喩のことわざ
に分けた。比喩を含まないことわざにおいては意味の変化は見られな
い。部分比喩のことわざは字義通り为題(喩えられる項)と比喩を含
む变述(喩えとなる項)からなることわざ種である。全体が比喩のこ
とわざはある事柄を取り上げ、別の事柄を伝える諷喩的なことわざで
ある。
部分比喩のことわざを直喩型のことわざ、隠喩型のことわざ、換喩
型のことわざに分け、それぞれのパターンにおける意味の変化を明ら
かにした。エジプトのことわざには直喩型の部分比喩のことわざが多
数あることが特徴的である。
全体が比喩のことわざは全て情景提喩とされる。つまり、何らかの
普遍相(裏の意味)を伝えるための具体例(表の意味、ここはことわ
ざ自体)である。この種のことわざにおける意味の変化を明らかにす
るために、表の意味と裏の意味を対照させるほか、その背景にあるイ
メージスキーマを考えた。その結果、「上・下」「サイズ」「形」の
イメージスキーマによって把握された上での意味の変化が明らかにな
った。
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イメージスキーマのほかに、動物の天性や性質に基づく類似性を通
じて意味をなすことわざもあった。そのことわざにおける意味の変化
は、为として動物の語が生物ではなく、性質などを表すことにある。
最後に文化的な原因に基づいて成り立つことわざを取り上げた。こ
れも情景的な比喩的意味を持つことわざと、文化的背景による比喩的
意味を持つことわざという二種類に分けた。情景的ことわざとは一つ
のストーリーを想像させるものであり、そのストーリーは他の文化で
も理解される可能性がある。その例としてエジプトと日本に共通する
ことわざを挙げた。それに対して文化的背景による比喩的意味を持つ
ことわざは特定の文化圏でのみ意味をなすもので、意味をはっきりさ
せるストーリーや情景がないため他の文化圏では理解されにくい。
第三節では、日本のことわざとエジプトのことわざの共通点と相違
点を整理した。まず、ことわざの分類を統計的に提示し、両言語のこ
とわざの共通点と相違点を明らかにした。そして、両言語に見られる
パターン的な比喩的意味を提示した。ついで、両言語に見られる文化
を反映する共通の動物に注目し、ことわざの普遍性を指摘した。最後
に、ことわざにおける概念的または表現的な共通のレトリックに焦点
を当てることによってレトリックの普遍性を提示した。
本論で分析の対象とした日本ことわざのうち、比喩を含まないこと
わざは2%、部分比喩のことわざは18%、全体が比喩のことわざは
80%をしめる。それに対して、エジプトのことわざのうち、比喩を含
まないことわざは1%、部分比喩のことわざは40%、全体が比喩のこ
とわざは59%である。部分比喩のことわざの比率の相違は、エジプ
トのことわざには喩えの指標「 صٞ 」で始まる直喩型が多いことが理
由である。
日本の部分比喩のことわざには直喩型、隠喩型、換喩型の三つのタ
イプがあり、これはエジプトのことわざと共通している。日本のこと
わざにおけるそれぞれの種類の比率は、直喩型22%、隠喩型37%、
換喩型41%である。それに対してエジプトのことわざは、直喩型
45%、隠喩型35%、換喩型20%である。
部分比喩のことわざと違って、全体が比喩のことわざは統一性が非
常に高いため、この種のことわざにおける比喩的意味を三つの原因に
分けて考察した。それはことわざの背景にあるイメージスキーマを介
した意味の変化から生じた比喩的意味、動物の天性・性質に基づいて
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立つ比喩的意味、文化や社会で普及した動物のイメージや事柄に基づ
く比喩的意味である。これは両言語のことわざに共通して見られる現
象であった
日本のことわざにおいてそれぞれの種類の比率は29%、21%、
50%であり、エジプトのことわざにおいて、25%、13%、62%である。
したがって、エジプトのことわざにおける比喩性、すなわち比喩的意
味は、理性的というよりは、社会的であると判断できる。
両言語のことわざには、動物に関するパターン的な比喩的意味が見
られる。日本のことわざにおいては、「狸、烏、狐、羊、牛、鼠、蛙、
猫、豚、鶏、狼」はマイナスイメージの意味で使われることが多い。
しかし、そのパターンは破られることがある。例えば「狐と狸の化か
し合い」「鹿待つところの狸」における「狸」の比喩的意味はそれぞ
れ、「ずるがしこい者」「価値の低いもの」であるが、「捕らぬ狸の
皮算用」における「狸」はそのような意味を持たない。それに対して
「鹿、虎、鶴、鷹、馬、獅子」は比喩的意味のパターンが守られてお
り、つねにプラスイメージの意味で語られる。
これに対して、エジプトのことわざにおけるパターン的な比喩的意
味は、マイナスイメージの意味が多い。たとえば「狼、ロバ、犬、鼠、
鳶、烏、フクロウ、甲虫、猫、熊、サソリ、コサギ、雂牛」は、つね
にマイナスイメージの意味で使われている。
日本のことわざに登場する動物は36 種類である。それに対して、
エジプトのことわざに登場する動物は30 種類である。両言語のこと
わざに共通する動物は70%を占める。それは「鼬/狼/熊/猿/犬
/牛/鹿/猫/獅子/豚/馬/鼠/蜂/蟻/烏/雀/鶴/鳶/雁/鶏
/蛇/羊」である。「熊・獅子・猿」を除いて、全て農村の動物であ
る。このような現象はことわざの普遍性を反映していると考えられる。
しかし、日本のことわざと異なり、エジプトのことわざにおける動
物の語彙には性別、年齢などの区別が多く見られる。それは特に農民
社会に馴染み深い動物の「羊、牛、馬」に顕著である。「羊」は「一
歳以上の雂羊、山羊、雂山羊、雌山羊、子山羊、雌羊、雂羊」のよう
に表現される。「牛」は「雌牛、家畜の一匹、子牛、雂牛」と現れ、
「馬」は単数形と複数形、また「赤い色の雌馬」として登場する。
両言語のことわざには同一のレトリックが見られる。表現は違うが
概念が共通であることわざ、例えば「瓢箪から駒が出る」と「 دذ ٠مٛي
ا جٌغ فٟ الأثش ٠ك 」は、非常に狭い容器から大きな動物が出てくるという、
理念上ではまったく有り得ないことに基づいている。「憎い鷹には餌 を飼え」と「ّٗ إ ٌٟٙ ا ىٌ تٍ ثؼن 」は、憎い人を動物に見立てて、その動物
(憎い者)に餌をやることによって味方とするのが良いという意味で
ある。
また、日本とエジプトのことわざには、表の意味と裏の意味が共
通しているものもある。「吠える犬は嚙みつかぬ」と「 و تٍ ٠ جَٕخ بِ
٠ؼنؼ 」は、両方とも人を脅したりやたらに威張ったりする人物を
「犬」に見立てて、その脅迫を「吠えること」に喩えている。さらに、
その人物は実力がなく何も出来ないことを「実際に噛まない」ことで
現している。
以上、本論では、ことわざに起こる意味の変化の研究を通じて、日
本語とアラビア語における比喩的意味について考察した。ただし、意
味の変化の一種とされる比喩的意味は、言語上の現象だけではなく、
文化や人間の思考・認知過程にも深く関わるものである。今後、こう
した現象を文化や人間の思考・認知過程との関わりにおいてさらに深
く追究することによって、異なる地域や文化の人間同士を結びつける
手がかりを見出すことができ、さらなる異文化理解への重要な一歩と
なりうるのではないだろうか。
また、比喩的意味の研究は翻訳論にも非常に有効であり、新たな翻
訳ソフトの開発等にも貢献できると考えられる。なお、本論ではこと
わざを文脈の中ではなく、独立した語句として分析を行った。ただし、
ことわざとは文化を強く反映して生まれ、使われているものである。
よって今後は、ことわざが用いられている文脈がどのように文化の影
響を受けているのかを判断しながら、文脈全体の中でことわざを分析
する必要があるだろう。